桜の約束(2)

いらっしゃいませー!
スタッフの声に続くようにお店のあちこちで声があがる。


いらっしゃいませー!3名様ご案内致します!


あまりに馴染んだ声だったので、ご案内の声が小林さんだと気付かず、そのまま案内までさせてしまいそうになり慌ててかけよった。


彼女は動じず、喫煙確認をしてくれていた。
「古谷さん、禁煙席ご希望のお客様です。どちらにご案内すれば宜しいですか?」

「ありがとう。替わります。」
「ご案内致します。こちらへどうぞ。」


なるほど。飲食店の経験者というのは伊達じゃないな。
基本的な確認事項はどこの飲食店もきっと大差ないんだろうな。


日本人は基本的にはされて嫌なことはしない。と教わっているから飲食店のマニュアルは自ずとそこに準ずるものになっていくのか。


外国のどこかの国では、飲食店の店内で子供が騒いでいても、親は特に注意もせずランチを楽しんでいるそうだ。


日本では白い目で見られるところだろうが、大国は違う。
子供はそういうものだという考えがある。ひいては人間はそういうものだ。となる。


迷惑をかけないことが美徳の日本とは反対に、迷惑をかけないのは無理だから人の迷惑くらい許してやれ。


電車は遅れ、修理業者はオフには来てくれない。
そんなもの。だそうだ。


サービス大国に暮らす日本人はそのギャップに驚き受け入れるのに時間がかかると、日本人メジャーリーガーと結婚したアナウンサーがいつかのテレビで言っていた。

午後8時をまわり店はほぼ満席状態。
ここから2時間くらいはピークの忙しさになる。


開店直後の彼女の対応ぶりで特に伝えることもないなと感じた僕は基本的には自分のやりやすい形で接客してくれてかまわないよと伝え、わからないことはいつでも聞いて下さいね。と付け加えた。


大手チェーンでもないので細かいマニュアルは用意されていない。スタッフは各々のやりやすい形を見つけ仕事をしている。

彼女の動きは想像よりもずっと良かった。
入店してきたお客さんには誰よりも早く声をかけ案内した後流れるように別のテーブルのお客さんの注文を聞き、キッチンに向かうついでに空いてるグラスやお皿も下げてくる。


初めは何度も様子を見に来ていた店長もいつしか事務所から出てこなくてなった。


平日なので週末ほどの忙しさではないが、その分スタッフの人数にも限りがあるため僕はホールとキッチンとを行き来し手の回らない仕事を請け負いながら店をまわしていた。


午後10時を回り空席が増え始めた。


「小林さん。賄い何がいい?キッチンに伝えとくけど?出来上がったらすぐ食べておいでよ。」


「ありがとうございます。古谷さんのオススメはなんですか?」
「そうだね、ウチのオススメはチキン南蛮。人気メニューだしうまいしそれでいい?」
「はい!お願いします!」

今日一番の笑顔にドキリとしたが、純粋に賄いに対する高揚だと言い聞かせて気持ちを落ちつける。


休憩から戻ってきた彼女は興奮したままだった。


「美味しいですね!古谷さんの言う通り!タレも自家製なんですよね?ご飯にもすごくあっててあっという間になくなっちゃいました。」


意気揚々と話す彼女はおそらく今仕事中だということすら忘れてたんだろう。


お客さんの入店音で我に返り、す、すみません!いらっしゃいませー!と入り口に向かった。


午前0時になり、彼女に今日はもう上がって下さいと伝えた。


「事務所に店長いるから声かけて帰ってくださいね。」
「わかりました。古谷さん今日はありがとうございました。明日からも宜しくお願い致します。お疲れ様でした。」


スタッフにも声をかけ彼女は店から出て行った。
同い年のスタッフの岡田がさりげなく歩み寄ってくる。


「小林さんどう?出来る子じゃない?明るいし愛想もいいし、なんせあの見た目だ。惚れそうだ。」


「はいはい。でも、確かにちゃんとしてるな。いいタイミングでいい子が入ってくれたよほんと。」


閉店後に店長が片付けをしている僕のところに来た。


「小林さんどう?ちょこちょこ様子見に来てたけど問題なさそうだよね?面接でピーンと来たんだよね。良い子だなこの子はって。」


「様子見にって途中から全然出てこなくなってたじゃないですか。でも、確かにちゃんと出来る人ですね。特に問題ないかと。学生さんなんですか?」


「そうそう、S大に通ってるみたいだね。来年卒業だけど、もう進路が決まってるから1年間になるけど働きたいってことだったから少し悩んだけど入ってくれてよかったよ。」


「へー。そうなんですね。進路って?」


「栄養士になるんだって。明日もシフト入ってるから今日みたいな感じでいいけど気にしてあげて。じゃあおれ上がるから戸締り、電気、ガス忘れずによろしく。お疲れ様。」


「お疲れ様でしたー。」


栄養士か。
まったくもってちゃんとしているな。


「栄養士かぁ。バランス良いご飯とか作ってくれるのかなぁ。いいな。そういうの。家庭的って言うか、あったかいイメージが膨らむなぁ。小林さんて彼氏いるのかな?」


「初日にそんなこと聞けるかよ。岡田、着替えたんならもう帰れよ。」


「後生だ古谷!小林さんに彼氏がいるかどうかだけ確認してくれ!頼む!」


「わかったわかった、そのうちな。おつかれさん。」


「やったー!持つべきものは友だな。お疲れ様。」


長くなりそうだったのでそう答えたのだが本当に聞くのか?大変なことを請け負ってしまった。


そうだ。無かったことにしよう。


岡田もそのうち忘れるだろう。

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