DOGMAN-ドッグマン-を見た。
こんにちはツムリです。
お正月を過ごしながらのんびり映画を見て過ごしています。
今年もたくさんの作品に触れ合っていきたいと思います。
まずはお正月早々気になっていたダークヒーローもの(?)DOGMAN-
ドッグマン-
でも、思っていたヒーローと違って衝撃がありました。
僕の感じたものを解説していきます。

▪️作品概要 — 愛と暴力が交錯する異色ドラマ
『DOGMAN ドッグマン』は、2024年に公開されたリュック・ベッソン監督によるドラマ映画です。
主人公は「ドッグマン」と呼ばれる男で、
ある夜警察に止められたトラックをきっかけに、自らの人生を半生として語りはじめます。
犬たちとの絆と人間から受けた裏切り、愛と暴力が交錯する物語は、
単なる犯罪劇や異形ヒーロー譚を超え、テーマとして「孤独」「心の傷」「救済」を描く異色作品とも言えます。
物語は現在→回想→現在へといった複層構造で進む叙述となっており、
視覚的・心理的な衝撃を伴う演出が随所に用いられています。
■ 登場人物(主要)

- ドッグマン(ダクラス/Douglas Munrow)
主人公。社会からは異形とみなされ、トラウマを抱えた男。犬たちと深い絆を持つ。
女装やドラァグ的なパフォーマンスなど、一般的理解を越える存在で描かれる。 - 警察の精神科医エヴリン
ドッグマンを診察するために呼ばれる精神科医。物語の語り手に向き合う立場でもあり、観客の視点代行者でもある。 - 犬たち(複数)
ダクラスの“家族”として物語の中心となる存在。愛と忠誠を象徴する。
(※その他の友人/敵役/脇役は、フラッシュバックや象徴的な登場で扱われており、物語の核はダクラスと犬の関係を表現しています。)
■ あらすじ — 現在(冒頭)の状況
物語冒頭、夜の路上で一台のトラックが警察に止められます。
運転席には血まみれで負傷した男。彼は奇妙な女装をしており、
荷台には十数匹の犬たちがいました。
警察は彼の状態を見て精神科医・エヴリンを呼びます。
エヴリンは留置場でダクラスの話を聞くことになり、ここから物語はダクラス自身の語りとともに始まっていきます。
■ あらすじ — 過去(回想)
▼ 幼年期
ダクラスは子ども時代、幼少期の大半を犬小屋で過ごしました。
家庭は暴力的で愛情が欠如しており、父や兄から厳しく扱われていました。
犬たちは唯一の慰めであり、純粋な存在として彼に寄り添っていました。
犬たちと過ごした時間は彼の心の根幹を形成し、やがて犬への愛情と依存へとつながっていきます。
幼少期のトラウマは深く、彼の内面には絶えず痛みと孤独が存在していました。
▼ 人間関係と希望
成長したダクラスは、社会に馴染もうとする努力をし、
人との関わりや恋愛も試みたが、ある出来事をきっかけに人間関係に深い傷を負ってしまいます。
裏切りや暴力を受け、人間への信頼は崩れ去ってしまいます。
そのかわりに彼の中心には常に犬たちがいました。
犬たちは無条件の愛情を与え、彼の孤独を埋めようとする存在でした。
■ 犬との“共犯関係”と犯罪への転落
ダクラスはやがて、犬たちを“使う”生き方へシフトしていきます。
彼は犬たちに訓練を施し、犯罪行為に関与させるようになります。
ただそれは単なる悪事ではなく、「犬たちと共に生き抜くための行為」として彼の中では位置づけられていきます。
この辺りの描写は、犬と人間という立場の異なる存在がどのように“家族”意識を持つかというテーマと結び付けられています。
犬たちはただの道具ではなく、彼にとって生存戦略と精神的支えを同時に担う存在となります。
(※この点は映画全体を通じた中心テーマでもある。「犬との絆」が人間社会の暴力性と対比される構造ですね。)
■ クライマックス — 犬との“決定的な行動”

ダクラスの犯罪行為は警察の捜査対象となり、彼は追われる立場となります。
精神的にも追いつめられたダクラスは、ある人物—警察官や関係者—からの裏切りや暴力的扱いを受け、心の奥底が崩壊していきます。
彼は最終的に犬たちとともに極端な行動へと出ます。
その行動は従来の「犯罪」を超えたもので、結果として重大な事件へと発展することになります。
この展開は観客にとってショッキングでもあり、同時に彼の孤独と悲劇を象徴するものでした。
■ 結末 — 現在へ戻る
留置場で話し終えたダクラスは、精神科医・エヴリンの前で静かに自身の人生を総括します。
彼の語りは単純な“事件の説明”ではなく、「犬との絆を通じて生きる意味を見出そうとした男の告白」として描かれています。
観客は、彼の異形性や暴力性を超えて、一人の人間の痛みと孤独、
その中で見いだした“愛”の形を目撃することになります。
映画は鮮烈でありながら、どこか寓話的でもある結末を迎えます。
観る者の心には「孤独」「愛」「救済とは何か」という普遍的な問いが残る作品です。
■ 作品テーマと考察

● 愛と孤独のパラドックス
『DOGMAN』が描くのは、犬との深い絆を持ちながら、同時に社会から排除・孤立する男の物語です。
人間との関係が壊れたダクラスにとって、犬は唯一の“無条件の愛”を与えてくれる存在であり、彼の救済でもありました。
しかしその愛は同時に、彼を社会から遠ざけ、極端な行動へと誘う要因にもなります。
● 暴力と愛情の二元性
物語を通して描かれる暴力は、人間関係の破壊と孤立の象徴でした。
彼の人生には暴力の記憶が刻まれ、同時に犬から受けた愛情が刻まれています。
それらが混ざり合い、彼なりの“救済”へと至る過程が、映画全体の主題となっています。
■ 主要シーンの解説

――物語を象徴する場面から読み解く『DOGMAN』
冒頭:犬を積んだトラックと「異形」の登場
夜の路上、警察に止められる一台のトラック。
血を流し、女装をした男、そして荷台いっぱいの犬たち。
この冒頭シーンは、『DOGMAN』という映画のすべてを凝縮した導入になっています。
- 社会から見た「異物」としての主人公
- 犬に囲まれた異様な光景
- 男か女かも即断できない存在性
ここで観客は、「この男は何者なのか?」という問いを突きつけられますが、同時に重要なのは、警察や社会の側が、彼を“理解する前に分類しようとする”態度です。
精神科医が呼ばれるのも、彼を救うためではなく、「処理するため」。
この時点で映画はすでに、
👉 社会が弱者をどう扱うか
👉 異質な存在をどの枠に押し込めようとするか
というテーマを明確に提示しています。
◯幼少期:犬小屋で育つという原体験
回想で描かれる幼少期、ダグラスは人間ではなく犬と同じ場所で育てられる。
このシーンが重要なのは、単なる虐待描写ではなく、
- 「人間として扱われなかった」
- 「愛情の回路が、人間ではなく犬に向いた」
という人格形成の決定的瞬間が描かれている点です。
心理学的に言えば、
これは愛着対象の歪な固定です。
通常、子どもは親や養育者に安全基地(セーフベース)を求めます。
しかしダグラスの場合、
- 親=恐怖
- 犬=安心
という構図が完成してしまった。
結果として彼は、
「人間と関係を築くための回路」を持たないまま大人になる。
この時点で、彼が社会に適応できない存在になるのは、ある意味必然だと言えます。
■ ドラァグクイーンとして歌う場面:仮面としての自己表現

ダグラスがバーで歌うシーンは、単なる異色演出ではありません。
ここは映画の中でも非常に重要な心理的転換点です。
彼はここで、
- 自分を別の存在に「演じる」
- 社会的な役割ではなく「表現」としての自己を持つ
つまり、
👉 本当の自分を隠すための仮面としての自己表現
を手に入れます。
これは心理学的には、
**「防衛としての役割取得」**と解釈できます。
彼は素の自分では傷つきすぎてしまう。
だからこそ、
- 女装
- 舞台
- 歌
という「安全な距離」を保てる形でしか、他者と関われない。
このシーンは美しくもあり、同時にとても哀しい。
なぜなら彼の自由は、社会の中で生きるための擬態だからです。
■ 犬を使った犯罪:家族との共犯関係
ダグラスが犬たちを使って犯罪を行う場面は、倫理的にもっとも揺さぶられるシーンです。
一見するとこれは、
- 犬を道具として使う冷酷な行為
にも見えます。
しかし映画は、この行為を単純な悪として描きません。
ダグラスにとって犬たちは、
- 命令に従う部下ではなく
- 守るべき家族であり
- 唯一の共同体
彼は「犬を使っている」のではなく、
「犬と一緒に生き延びようとしている」。
ここにあるのは、
👉 社会から切り離された者同士の“歪んだ共存”
です。
この関係性は健全ではありません。
しかし同時に、それしか選択肢がなかった人間の切実さも、映画は突きつけてきます。
■ クライマックス:暴力の爆発と孤独の完成
終盤、裏切りと暴力によってダグラスの心は完全に折れます。
彼が選ぶ行動は、救済ではなく破壊です。
ここで重要なのは、
彼の行動が「復讐」ではなく、
孤独が極限まで到達した結果として描かれている点です。
彼はもはや、
- 人間社会に戻る道を信じていない
- 理解されることも期待していない
だからこそ、
犬とともに“人間社会の外側”へ行くことを選ぶ。
これは勝利でも解放でもなく、
👉 孤独が完成してしまった状態
なのです。
② 孤独の心理学的読み解き
――なぜドッグマンは「人と生きられなかった」のか
■ 愛着障害としてのドッグマン

ダグラスの孤独は、性格や選択の問題ではありません。
彼は典型的な重度の愛着障害を抱えています。
- 幼少期に安全基地が存在しない
- 愛情が恐怖と結びついている
- 人に近づくほど傷つく経験しかしていない
この条件が揃うと、人は
- 他者を信頼できない
- 親密さを危険と感じる
- それでも孤独には耐えられない
という矛盾した心理を抱えます。
犬は、この矛盾を一時的に解決してくれる存在でした。
■ 犬が象徴する「無条件の関係」
犬は人間に比べて、
- 裏切らない
- 評価しない
- 役割を要求しない
ダグラスにとって犬は、
条件付きの愛に傷つけられ続けた人生への唯一の対抗物です。
しかし同時に、
犬との関係は彼を「人間関係から切り離す」役割も果たします。
つまり犬は、
- 救いであり
- 牢獄でもある
この二面性が、『DOGMAN』の孤独をより深いものにしています。
■ 孤独とは「一人でいること」ではない
『DOGMAN』が描く孤独は、
単なる「独り身」や「友達がいない」状態ではありません。
それは、
理解される可能性が存在しないと感じている状態
です。
ダグラスは最後まで、
- 誰かに理解されたい
- でも理解されることが怖い
という矛盾を抱え続けます。
その緊張が限界に達したとき、
人は社会から降りるしかなくなる。
『DOGMAN』のラストは、
👉 孤独が選択ではなく“結果”であること
を、静かに、しかし残酷に示しているのです。
『DOGMAN』は問いかけます。
- 私たちは、理解できない存在をどこまで受け入れられるのか
- 愛されなかった人間は、どこで救われるべきなのか
- 孤独は個人の責任なのか、それとも社会の失敗なのか
この映画が後味の悪さと同時に深い余韻を残すのは、
その答えを観客自身に委ねて終わるからでしょう。
■ 正義なきヒーロー、使命なき物語

ヒーロー映画には必ず、
- 守るべきもの
- 倒すべき悪
- 明確な目的
があります。
しかしダグラスには「使命」がありません。
- 犬を守りたい
- 自分が生き延びたい
それだけです。
彼は世界を良くしようとしないし、
悪を倒しても秩序は回復しない。
つまり彼は、
「世界に必要とされないヒーロー」
なのです。
この点で『DOGMAN』は、
『ジョーカー』や『タクシードライバー』に近いですが、
さらに一歩踏み込んでいます。
👉 彼は「象徴にすらならない」
社会に反逆するアイコンにもなれない。
ただ孤独に、外側へ落ちていく。
■ 犬は“相棒”ではなく“世界そのもの”

ヒーロー映画では、
- バットマンとロビン
- ジョン・ウィックと犬
のように、「相棒」が重要です。
しかし『DOGMAN』では、
犬は相棒ではありません。
👉 犬=社会の代替物
人間社会の代わりに存在する共同体。
だから彼は、犬を失えば完全に世界を失う。
これはヒーロー映画の「仲間がいるから戦える」という構図を、
「仲間しかいないから社会と断絶する」
という形に反転させています。
▪️リュック・ベッソン作品との比較
――ベッソン映画の「終着点」としてのDOGMAN

■ ベッソン映画の一貫したテーマ
リュック・ベッソン作品を振り返ると、
実はずっと同じ主人公を描いてきました。
- 『レオン』:社会から外れた殺し屋
- 『ニキータ』:暴力装置として育てられた女性
- 『フィフス・エレメント』:人類を救う異物
- 『LUCY』:能力が人間性を超えていく存在
共通点は明確です。
👉 社会に馴染めない“異能者”が、
何らかの形で世界と接続される
たとえ悲劇的でも、
- 愛(レオン)
- 使命(フィフス・エレメント)
- 超越(LUCY)
によって、物語は“意味”に到達します。
■ DOGMANは「意味に到達しない」
しかし『DOGMAN』ではどうでしょうか。
- 世界は救われない
- 社会は変わらない
- 主人公は報われない
これはベッソン作品としては、
極めて異例です。
ダグラスは、
- レオンのように誰かを守れない
- リー・ルーのように使命を背負えない
- ルーシーのように超越もできない
彼はただ、
傷ついたまま、生き延びただけ。
これは、
👉 ベッソン自身が「救済の物語」を信じなくなったようにも見える。
■ レオンとの決定的な違い
特に『レオン』との比較は重要です。
- レオン:少女との関係が“人間性の回復”になる
- DOGMAN:人間関係はすべて“破壊”に終わる
『レオン』では、
「愛が人を人間に戻す」
『DOGMAN』では、
「愛が人を社会から切り離す」
これは同じ“孤独な殺し屋的存在”を描きながら、
正反対の結論です。
■ DOGMANはベッソンの「敗北宣言」に近い
意地悪な言い方をすれば、『DOGMAN』はこう言っているようにも見えます。
世界はもう、
孤独な異物を受け入れられない。
若い頃のベッソンは、
- 愛
- ロマン
- 映画的奇跡
を信じていました。
しかし『DOGMAN』では、
奇跡は起きません。
犬は忠実ですが、世界は冷酷です。
■ 総合的に見る『DOGMAN』の位置づけ
- ヒーロー映画の裏返し
- ベッソン作品の自己否定
- 救済なき異能者の物語
『DOGMAN』は、
「それでも映画は孤独を描けるか」
という問いに対する、ベッソンなりの答えです。
派手でも、爽快でもない。
だが非常に誠実で、痛みのある映画。
だからこそこの作品は、
ヒーロー映画に慣れた観客ほど、
強く心に引っかかるのだと思います。
いかがでしょうか?
ダークヒーローモノだと考えていた自分のイメージを覆された作品でした。
ただただリアルがここにある。
普通という言葉の枠はかなり大きくて基本的にはその枠に収まっている世界が多い中、異物に対して人や世界はこうなんだろうなと考えさせられました。
【映画】ジョーカーのあらすじとネタバレ感想-R15指定のワケ―
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