『チェンソーマン レゼ篇』をみた。
「もし、あの雨の日に出会わなかったら。」
『チェンソーマン レゼ篇』を観終わったあと、そんなことを考えてしまいました。
デンジの前に突然現れた少女、レゼ。
カフェで働く彼女は、笑顔がかわいくて、少し大人っぽくて、デンジにとっては今まで出会った女性とはまったく違う存在でした。
一緒に泳いだり、学校について話したり、夜の街を歩いたり。
デンジにとって、レゼとの時間は「普通の青春」そのものだったのかもしれません。
ところが、その正体は爆弾の悪魔。
二人の出会いは偶然ではなく、デンジの心臓を狙った罠でした。
それでも、この映画を単純に
「レゼはデンジを騙していた」
という話として片付けることはできません。
むしろ印象に残るのは、
「レゼ自身も、途中から自分の気持ちが分からなくなっていたのではないか」
ということです。
今回は『チェンソーマン レゼ篇』の物語を振り返りながら、二人の恋と、あまりにも切ないラストについて考えてみたいと思います。
※この記事には映画の重大なネタバレがあります。
広告
『チェンソーマン レゼ篇』
| 開 | 2025年 日本 |
| 原作 | 藤本タツキ |
| 監督 | 𠮷原達矢 |
| 本編 | 1時間39分 |
| 出演 | 戸谷菊之介 楠木ともり 坂田将吾 内田真礼 上田麗奈 |
『チェンソーマン レゼ篇』あらすじ

悪魔の心臓を持つ少年デンジ。
公安対魔特異4課のデビルハンターとして働く彼は、マキマへの恋心を抱えながら日々を過ごしています。
そんなある雨の日、デンジはレゼという少女と出会います。
レゼは近所のカフェで働いている女の子。
二人はすぐに距離を縮めていきます。
デンジにとってレゼは、これまでの人生では経験できなかった「普通の女の子との青春」を見せてくれる存在でした。
しかし、その裏には別の目的がありました。
レゼの正体は、爆弾の悪魔の力を持つ存在。
やがて二人の関係は、恋愛から壮絶な戦いへと変わっていきます。
『チェンソーマン レゼ篇』見どころ

公式の紹介でも、この作品は「恋も欲望も、人間も悪魔も全てを巻き込む」物語として描かれています。
でも、僕がこの映画で一番面白いと思ったのは、派手な戦闘ではありません。
デンジとレゼが一緒に過ごす時間
デンジが本当に欲しかったもの
デンジというキャラクターは、ずっと「普通の生活」に飢えています。
お金がない。
まともな食事もできない。
家もない。
教育も受けられない。
そんな環境で生きてきたデンジにとって、
「学校に行く」
「女の子とデートする」
「一緒に泳ぐ」
「夜に二人で歩く」
ということは、とても特別なことでした。
だからレゼに出会ったとき、デンジは単純に恋をしたというだけではないと思います。
レゼといることで、
「普通の人生」そのものを体験していた。
ここが重要です。
デンジがレゼに惹かれたのは、彼女がかわいかったからだけではありません。
レゼと一緒にいると、
「自分も普通の男の子になれる」
ような気がした。
だからこそ、レゼから
「一緒に逃げよう」
と誘われたとき、デンジは本気でその未来を想像してしまいます。
公安を辞める。
マキマのもとを離れる。
アキやパワーとも別れる。
そしてレゼと二人で暮らす。
デンジにとって、それは初めて自分で選んだ人生だったのかもしれません。
レゼは最初からデンジを騙していた?
もちろん、物語の表面だけを見れば、レゼはデンジを利用しています。
近づいたのも、優しくしたのも、デンジの心臓を奪うため。
つまり二人の恋には、最初から嘘が混ざっていた。
ここが『チェンソーマン』らしいところです。
普通の恋愛映画なら、
「偶然出会った男女が恋に落ちる」
ところから始まります。
でも、この映画では、
最初から片方が相手を殺すつもりだった。
それなのに、二人の時間には本物の楽しさが存在してしまう。
ここが苦しい。
「普通の女の子」になりたかった?
レゼについて考えるとき、どうしても気になるのが、
「レゼはいつからデンジを本気で好きになったのか?」
という問題です。
これは映画の中では明確に答えが出ません。
だからこそ、想像する余地があります。
レゼもまた、普通の人生を与えられなかった人間です。
幼い頃から戦闘のために利用され、普通の学校生活や青春とは無縁の人生を送ってきた。
そんな彼女がデンジと出会う。
そして、
「学校ってどんなところ?」
「泳げる?」
そんな他愛もない時間を過ごす。
レゼにとっても、それは今まで知らなかった世界だったのではないでしょうか。
デンジとレゼは、実はよく似ています。
二人とも、
「普通の生活を知らない」
のです。
だからこそ、お互いに惹かれてしまう。
「学校に行ったことがない」という二人の共通点
映画の中で特に印象に残るのが、学校をめぐる二人のやり取りです。
デンジもレゼも、普通の学生生活をまともに経験していません。
だから二人にとって学校は、
「誰もが知っている日常」
ではありません。
二人にとっては、どこか遠い世界です。
それなのに二人で話していると、その「普通」を想像できる。
これが、二人の関係の切なさにつながっていると思います。
二人が惹かれたのは、相手そのものだけではなく、
相手と一緒なら、自分も普通になれるかもしれない
という可能性だったのではないでしょうか。
【ネタバレ】レゼの正体が明らかになった瞬間

そして物語は一気に変わります。
レゼの正体が明らかになる。
爆弾の悪魔としての力を使い、デンジを襲うレゼ。
それまでの柔らかな青春映画のような空気が、一瞬で『チェンソーマン』の血まみれの世界へ戻っていきます。
ここで、
「ああ、やっぱり全部嘘だったんだ」
と思ってしまいます。
でも、僕はそうは思いません。
少なくとも、
全部が嘘だったとは考えにくい
なぜなら、レゼ自身がデンジとの時間を完全に否定しているようには見えないからです。
むしろ彼女は、任務と自分の感情の間で揺れているように見えます。
そこがレゼというキャラクターの悲しさです。
デンジにとってレゼは「初恋」だったのか

僕は、レゼはデンジにとって初恋に近い存在だったと思います。
もちろんデンジにはマキマへの強烈な憧れがあります。
でも、マキマとレゼでは大きく違います。
マキマはデンジにとって、
「自分が手に入れたいもの」
に近い。
一方、レゼとは、
「一緒に何かをする」
関係です。
一緒に泳ぐ。
一緒に話す。
一緒に逃げる。
つまりレゼとの関係では、デンジが初めて、
「誰かと人生を共有する」
という感覚を経験したように見えます。
だからレゼとの別れは、単に好きな女の子と別れるという以上の意味を持っています。
デンジが初めて見つけた「普通の青春」が、一緒に消えてしまったからです。
それでもデンジはレゼを待つ

映画の終盤。
レゼとの戦いを経て、二人の関係は終わったように見えます。
ところがデンジは、レゼを待っています。
ここが本当に切ない。
普通なら、
「自分を騙していた相手」
なのだから、忘れてしまってもおかしくありません。
でもデンジは忘れられない。
なぜなら、レゼとの時間のすべてが嘘だったとは思えないからです。
そしてデンジは、カフェでレゼを待つ。
花を持って。
この場面を見ると、
「もしかしたら、レゼも来るんじゃないか」
と思ってしまいます。
観客も、デンジと同じ期待を抱かされます。
レゼは本当にデンジのもとへ向かったのか?

そして、ここがラストの最大のポイントです。
レゼは一度は逃げようとします。
しかし、最終的にはデンジのいるカフェへ向かおうとする。
つまり、
レゼにも「もう一度デンジに会いたい」という気持ちがあった。
少なくとも、そう読むことのできる描写があります。
ところが、その途中でマキマに阻まれます。
レゼはデンジのもとへたどり着くことができない。
そしてデンジは、そのことを知りません。
ここが残酷です。
デンジから見れば、
「レゼは来なかった」
だけ。
でも観客は、
「レゼは来ようとしていた」
ことを知っている。
だから、あのラストが苦しい。
伝わらなかった二人の気持ち
この映画で一番残酷なのは「二人とも知らない」こと
『レゼ篇』の悲劇は、単純な死ではありません。
もっと残酷なのは、
二人の気持ちが最後まで完全には伝わらないこと
だと思います。
デンジは、
「レゼが自分を好きだったのか」
を知りません。
レゼも、
「デンジが本当に自分と一緒に逃げるつもりだった」
ことを最後まで確認できない。
二人とも、相手の気持ちを知らないまま終わってしまう。
だから観客だけが、
「もし二人がもう一度会えていたら」
と考えてしまいます。
「もし雨の日に出会わなかったら」
この映画について考えるとき、僕は最初の雨のシーンに戻りたくなります。
雨が降っていたから、デンジは雨宿りをした。
そこでレゼと出会った。
もし雨が降っていなかったら。
もしあのカフェに入らなかったら。
もし二人が出会っていなかったら。
二人の人生は、まったく違うものになっていたでしょう。
でも、人生にはそういう偶然があります。
たった一度の出会いが、その後の人生に大きな影響を残す。
そして、その人が人生の最後まで隣にいるとは限らない。
それでも、その時間が偽物になるわけではありません。
レゼは「デンジの初恋」であると同時に、「叶わなかった人生」なのかもしれない
ここが、この作品を観て一番考えさせられた部分です。
レゼはデンジにとって、単なる恋愛相手ではありません。
彼女と一緒なら、
「公安に所属しなくてもいい」
「誰かに命令されなくてもいい」
「普通の学校生活を送れる」
「普通の恋人として生きられる」
そんな未来があったかもしれない。
つまりレゼは、
デンジが選べたかもしれない別の人生
そのものだったのではないでしょうか。
だから彼女を失うことは、恋人を失うことだけではない。
「もし違う人生を選んでいたら」という可能性まで失うことなのです。
『チェンソーマン』らしい「自由」の物語
『レゼ篇』を恋愛映画として観るのも面白い。
でも、もう一つ重要なのが「自由」です。
デンジはずっと、誰かに人生を決められてきました。
公安に入ってからも、マキマへの憧れに縛られています。
そんなデンジに、
「一緒に逃げよう」
と言ったのがレゼでした。
一方のレゼも、自分の人生を自由に選べる立場ではありません。
二人とも誰かに利用されている。
二人とも自由になりたい。
だからこそ、一瞬だけ二人の間に、
「一緒に逃げる」
という選択肢が生まれた。
それは恋愛であると同時に、
自分の人生を自分で選ぶこと
でもあったのだと思います。
ラストは「レゼが死んだから悲しい」だけではない
この作品のラストがこんなにも切ないのは、
「レゼが死んだから」
だけではありません。
もっと切ないのは、
二人には幸せになる可能性が確かに存在していた
ことです。
もしレゼが最初からデンジを利用する気がなかったら。
もし二人が普通の世界で出会っていたら。
もしマキマがいなかったら。
もし二人が一緒に逃げられていたら。
そんな「もし」がいくつも浮かんできます。
でも、映画はその可能性を全部見せておいて、
「それでも、そうはならなかった」
と突きつけてくる。
だから苦しい。
音楽
主題歌「IRIS OUT」とエンディングがさらに物語を引き立てる
映画の主題歌は米津玄師の「IRIS OUT」。
そしてエンディング・テーマには米津玄師と宇多田ヒカルによる「JANE DOE」が使われています。公式情報でも、この2曲がそれぞれ主題歌・エンディング・テーマとして発表されています。
特に『レゼ篇』は音楽との相性が非常に重要な作品です。
映像だけで説明しすぎず、
音楽と映像によってデンジとレゼの感情を感じさせる。
恋愛の甘さと、戦闘の激しさ。
日常と悪夢。
その落差が、映画全体の魅力になっています。
最後に
「この二人に、もう少しだけ時間があればよかったのに」
と思ってしまう。
それも、この映画の余韻の一つだと思います。
『レゼ篇』は「騙された恋」の話ではない
僕がこの映画を観終わって一番強く感じたのは、
「レゼはデンジを騙した女の子」というだけではない
ということでした。
彼女は確かにデンジを利用しました。
任務のために近づいた。
デンジを殺そうともした。
そこは否定できません。
でも、その中に本物の感情が生まれてしまった。
そして、その感情は彼女自身にも無視できないものになった。
だからレゼは悲しい。
最初から純粋な恋だったわけではない。
でも、だからといって全部が嘘だったわけでもない。
嘘から始まった関係の中に、本物の気持ちが生まれてしまった。
それが『レゼ篇』という物語の一番切ないところなのだと思います。
デンジとレゼは「似た者同士」だった
二人は性格こそ違います。
でも、人生という意味ではよく似ています。
どちらも自分の人生を自由に選べなかった。
どちらも普通の青春を知らない。
どちらも誰かに利用されている。
そしてどちらも、
「普通に生きてみたい」
という気持ちを持っている。
だから二人が一緒にいる時間だけは、
ほんの少し普通になれた。
学校の話をして、
プールで遊んで、
夜の街を歩いて、
くだらないことで笑う。
それだけでよかった。
でも、二人にはその「普通」が許されなかった。
『チェンソーマン レゼ篇』を観終わって
『チェンソーマン レゼ篇』は、派手なアクション映画です。
爆発する。
血が飛ぶ。
チェンソーが唸る。
悪魔と人間が激しく戦う。
それなのに、映画を観終わったあとに一番残るのは、
静かな恋の記憶
でした。
雨の日に出会った女の子。
一緒に過ごした時間。
「学校に行ったことがない」という二人。
一緒に逃げようとしたこと。
そして、最後に待っていたカフェ。
もしレゼがあのカフェにたどり着いていたら。
もしデンジがレゼの本当の気持ちを知っていたら。
もし二人が普通の世界で出会っていたら。
そんな「もし」を考え続けてしまいます。
でも、たぶん、それこそがこの映画の狙いなのだと思います。
恋というのは、
一緒にいられた時間の長さだけで決まるものではない。
たった一度の出会いでも、
その人がいなくなったあとに、
「もし、あのとき……」
と何度も考えてしまうなら、
その出会いはもう、その人の人生の一部になっている。
デンジにとって、レゼとの時間はそういうものだったのではないでしょうか。
まとめ|レゼはデンジにとって「初恋」ではなく「可能性」だった
『チェンソーマン レゼ篇』を一言で表すなら、
「叶わなかった普通の青春」
なのかもしれません。
デンジとレゼは、二人とも普通の人生を知らなかった。
だからこそ、お互いと一緒にいることで、その「普通」を初めて想像できた。
レゼはデンジを騙していた。
それは事実です。
でも、その嘘の中で生まれた感情まで嘘だったとは限らない。
むしろ、最後にはレゼ自身もデンジのもとへ向かおうとした。
それでも二人は会えなかった。
だからこそ、あのラストは悲しい。
もし二人がもう一度会えていたら。
もしレゼが普通の女の子として生きられていたら。
もしデンジが普通の男の子として生きられていたら。
そんな「もし」を想像できる余白があるから、この物語は終わったあとも心に残ります。
そして僕は、この映画の本当の切なさは、
「レゼを失ったこと」ではなく、「レゼとなら違う人生を生きられたかもしれないこと」
にあるのだと思います。
雨の日に始まった、ほんの短い恋。
でも、その短い時間はデンジにとって、これからも消えることのないものになる。
それが『チェンソーマン レゼ篇』という映画なのだと思います。
MAPPA制作のド迫力なハイスピードバトルシーンも必見です。

こちらもおすすめ→
【映画】本気と自分を探す!ブルーピリオドを見た!見どころとネタバレ感想。
やっぱり元作派はこちらでゲット→

映画・生活ブログ-つむろぐ-
コメントを残す